- クロバー
創業ストーリー - クロバーマーク
に関するお話
クロバー創業ストーリー
創業当時の店舗(大正14年)
創業者岡田敏雄が故郷の兵庫県多可郡松井庄村豊部(現在の多可町加美区)を発ち、大阪で商売の道に飛び込んだのは明治45年のことでした。
裁縫用具卸商の下で働きながら、「縁あって縫い針の世界に飛び込んだのだから、縫い針の世界で生き抜き、そして日本一になる」そう誓った岡田敏雄は大正14年、28歳の若さで大阪市南区安堂寺橋通り(現在の大阪市中央区)に「岡田慶七商店」を立ち上げます。
行動力に長けた岡田敏雄は関西にとどまらず、北海道から九州まで文字通り日本中を飛び回り、順調に得意先は増えていきました。
ところが、時は混乱期、やがて太平洋戦争が勃発し、戦火は大阪の地にも広がり、ついにはせっかく立ち上げた店舗も消失してしまいました。
戦後、ものが不足し、粗悪品が多く出回る環境下でも、「必ず日本一に」という誓いを忘れることは無く、事業を再開したのです。その際、「メーカーとなって、どこにも負けない品質の高い商品づくりをしよう」そう考えた岡田敏雄は昭和21年、現在の本社がある大阪市東成区に工場を建設し、最初にレース針を製造しました。
「一番」を目指した縫い針の販売は1947年(昭和22年)、洋服作りブームが起こる中、洋針を双鳩メリケン針として発売したのが最初となりました。和針として、1952年(昭和27年)、金耳針を発売しました。耳穴部分に糸当りをソフトにする金メッキを施した独自の仕様は大ヒットとなり、「縫い針で日本一」という目標は手に届くところとなったのでした。
その後は、昭和22年3月に株式会社岡田慶七商店に改組、昭和33年にはクロバー裁縫具株式会社に社名変更、そして、昭和39年7月には今のクロバー株式会社に社名変更を行い、発展期を迎えることになりました。