事業史

大正〜昭和初期

1925年(大正14年)

10月

創業者岡田敏雄が14年間勤務した亀井商店より独立、大阪市南区安堂寺橋通り1丁目にて、ぬい針・ボタン・裁縫用具の卸商「岡田慶七商店」を創業。

創業当時の店舗(1925年 大正14年)

1928年(昭和3年)

4月

創業3年余りで陣容も整い問屋としての体制を築き、東区南久宝寺町1丁目40に移転。

当時のオールスタッフ(1929年 昭和4年)
向かって前列右端 創業者岡田敏雄・後列右端 藤田朋美専務取締役(当時)

1932年(昭和7年)

8月

東区南久宝寺町1丁目36・南久宝寺町筋に進出。新市場開拓のため、硝煙さめぬ満蒙を視察。通信取引も活発に行っていました。

後年クロバーニュースとなる岡田慶七商店商報を発行、縫針100ぴき(200包)2円50銭、レース針上物1グロス(12ダース)4円50銭、袖型10枚35銭など、1932~3年(昭和7・8年)頃からこうした商品PRを積極的に実施。

南久宝寺町1丁目の店頭(1933年 昭和8年)
梱包商品は満洲行き

岡田慶七商店商報(1932年 昭和7年)

1938年(昭和13年)

6月

商売が手広くなるにつれ、店が狭くなったことと、南久宝寺町筋が現在の歩道・車道に別れた道路への拡張工事が行われたため、すでに工事が完了した東へ300mの東区内久宝寺町4丁目に移転、従業員20名を擁し、国内はもちろん満蒙方面にも活発な営業をしていました。創業当初から小売店への販売より、東京・名古屋・京都・大阪の卸業者、大阪市西区川口町の華商、並びに神戸・横浜の輸出業者を通じて、朝鮮・満洲・関東州にあみ針類、安全ピン、刺しゅう糸その他雑貨の輸出を主体としていました。1931年(昭和6年)の満州事変勃発当時から会長自ら海外への進出を本格的に行うようになり満蒙を視察、朝鮮・満洲・関東州に直輸出するようになりましたが、1940~1941年(昭和15~16年)頃より戦争が激化するにつれ、輸出は途絶し、やがて永年にわたって開拓しました国外の販売先をすべて失いました。終戦後、再発足した当初から朝鮮・満洲への輸出が以前のように旺盛であったなら、現在では相当の輸出ができていることと想像できます。

1944年(昭和19年)

6月

太平洋戦争が激化。従業員は兵役・徴用のため減少、物資の不足で取扱い商品もなく、企業統合整備のために一時廃業。

一時廃業のとき、東京・関口氏から送られた書
(1944年 昭和19年)

1945年(昭和20年)

10月

戦後いち早く営業を再開。再開にあたりメーカーへの転向を志したが、機械などが入手できず、大阪市生野区で問屋として復活。

1946年(昭和21年)

10月

大阪市東成区中道3丁目15番5号(現本社所在地)に移転。
同地に工場を建設、製造業として操業を開始。ワイヤー針・四本針・レース針の製造を開始。

昭和中期

1947年(昭和22年)

3月

個人企業を法人に改組し「株式会社岡田慶七商店」を資本金15万円で設立。
岡田敏雄が社長に就任。

最初の定款ほか
(1947年 昭和22年)

双鳩メリケン針を発売。

1948年(昭和23年)

9月

創業者岡田敏雄がクロバーの商標を獲得。クロバーは縁起がよく、女性に好まれ取扱い商品には最適のマークとして浸透、定着。
工場に尖頭機、研磨機を導入し、レース針、金属製2本針、同4本針の製造を開始。

最初に使用したクロバーマーク
(1948年 昭和23年)

1949年(昭和24年)

製造・販売元を示すため、対外的には「クロバー裁縫具本舗」の呼称を始める。

1951年(昭和26年)

東南アジアへの輸出を開始。

1952年(昭和27年)

2月

クロバー金耳針の発売。
規格化した高品質の縫い針を世に出すため、縫い針の耳(針穴部周辺)に金メッキを施した「金耳針」を発売、以後、縫い針の呼称が金耳針となる。
雑誌広告を開始。「和裁にクロバー金耳針/ 洋裁に双鳩メリケン針」というキャッチフレーズで広く普及活動を行う。

1954年(昭和29年)

2月

1954年(昭和29年)2月1日クロバーニュース第1号を発刊。

クロバーニュース第1号(1952年 昭和29年)と
現在のクロバーニュース

全国主要鉄道路線に野立看板を設置。

1955年(昭和30年)

3月

民間放送よりクロバー製品のラジオスポット広告を放送。

4月

本社工場を現本社所在地に増設。

12月

工場敷地内に和歌山市加太の淡島神社分身を祭祀し宮司を招いて入魂式を行う。
後年、工場移転により、現在は東大阪事業所内に安置して、毎年12月8日に針供養を行っています。

針供養(1955年 昭和30年)と近年の針供養

「クロバー製品カタログ」第1号を発行。

店頭吊り下げの「ほうろう製看板」を販売店へ設置。

1956年(昭和31年)

9月

京都工場を京都市南区内田町に竣工。

PR映画「縫針工場を見学して」を制作。
大阪・阪急百貨店でクロバー金耳針の金メッキ加工を実演。

1957年(昭和32年)

全国4局ネットでテレビCMをスタート。

1958年(昭和33年)

5月

「クロバー裁縫具株式会社」に商号変更。

1959年(昭和34年)

8月

本社(現本社所在地)に第2工場を竣工。
レース針の増産を開始。

1960年(昭和35年)

8月

クロバーマーク(企業ロゴ)を制定。
クロバーマーク統一をはかる(社章)。

1962年(昭和37年)

1月

現本社南側に本社社屋(鉄筋4階建)を新築。

(画像は1975年頃の旧本社)

大阪国際見本市に出展。

1963年(昭和38年)

3月

適格な情報把握と販路拡大のため、東京都台東区浅草橋3丁目35に東京連絡所を設置。

8月

岡田敏雄が会長に、岡田秀一が社長に就任。

10月

社歌・社訓を制定。

社 歌
(昭和38年)

昭和後期

1964年(昭和39年)

5月

現本社所在地に鉄筋5階建工場竣工、自動ニッケルメッキ装置他の新鋭機械を多数導入し、量産体制を整備。

7月

取扱い商品の多様化、商標と社名の一体化により「クロバー株式会社」に社名変更。
「手芸と装いに奉仕する」をスローガンに掲げる。

空前のワッペンブームで各種ワッペンを発売、爆発的なヒット商品となる。

1965年(昭和40年)

10月

クロバー商事株式会社を設立。

1966年(昭和41年)

9月

東京出張所を営業所に昇格し、東京都中央区東日本橋に移転、開設。

11月

創業者 岡田敏雄著「ぬい針~この小さく偉大なもの」初版発刊。
縫い針の歴史・用途・製造工程・規格・逸話などを約300頁に集録、体系的に資料を集め編集された縫い針に関する本は我が国で唯一のものです。

ぬい針の本
(1966年 昭和41年)

オートスライド「夢を編むレース針・かぎ針」を制作、展示会などで放映。

1967年(昭和42年)

4月

電飾看板を製作、配布。

本社工場に放電加工機を導入、各種金型の自社製作を開始。

1968年(昭和43年)

4月

大阪工場を東大阪市吉田4丁目4番29号で竣工、従来の本社工場及び京都工場を合併。

旧工場より大阪工場へ機械移転
(1968年 昭和43年)

大阪工場竣工記念パーティー
(1968年 昭和43年)

8月

クロバージャンボあみ針を発売、ジャンボ編みを提案して大ブームを起こす。
ジャンボの形容がピッタリの超極太あみ針で、日本人のあみもの感覚にあった形状・太さ・材質などを分析・研究・試作を繰り返し完成。一番太いものは25ミリで今までのあみ針の観念を吹き飛ばした画期的な針で、発売と同時に一大センセーションを巻き起こしました。

ジャンボ針新発売のポスター
(1968年 昭和43年)

1969年(昭和44年)

11月

大阪工場第2期増築工事が完成し、工場事務所・厚生施設が整う。

大阪工場第2期増築工事完成
(1969年 昭和44年)

山の上ホテル( 東京お茶の水) にて、出版社編集担当者を招いて「ジャンボあみ針説明会」を開催。

1970年(昭和45年)

3月

クロバーニュース第100号の発刊。

4月

CI 導入し、シンボルマーク(クロバーマーク)と社章を分ける。

PR用スライド「躍進するクロバー」を制作。

1972年(昭和47年)

8月

クロバーのあみ針を広めるためのキャンペーン「KN作戦(Knitting Needles の略)を展開。
「カラフルで楽しい編み針」というイメージに合うキャラクターとして、歌手・天地真理さんを起用し全国向けにテレビ放映。

あみ針KN作戦展示会 (1972年 昭和47年)

あみ針キャンペーンに人気絶頂の歌手、天地真理さんを起用、大きな話題となる。

テレビ放映に使用したフィルム(1973年 昭和48年)

1973年(昭和48年)

射出成型機を導入し、カラーあみ針の一貫生産態勢を確立。
西独ゾーリンゲンのロブゾ社と技術提携。

1974年(昭和49年)

3月

大阪工場の隣接地に第3期増築工事完成。
小松600トンプレス機導入。
ニッケルメッキ設備は最新式のロボット自動制御方式・排水処理装置も全面取替え、窓は二重窓を採用し、無公害工場としての設備投資や研究にはおしまず努力しました。

小松600トンプレス機
(1974年 昭和49年)

11月

「棒針もかぎ針もクロバー」を提唱し、「K&C 作戦」を展開。

1975年(昭和50年)

7月

大阪工場無災害記録に対し、大阪労働基準局長より安全進歩賞の表彰を受ける。

安全進歩賞表彰式
(昭和50年)

9月

「ホームはさみ」が1975年度グッドデザイン(Gマーク)商品を受賞。ドイツ・ゾーリンゲンの高級はさみメーカーであるロブゾ社輸出部長モールスバッハ氏を招き全国で説明会を開催して、CS作戦(クロバーはさみのイメージアップ)を展開する。また、ロブゾ社の技術指導を受け、当社大阪工場でステンレス製ホームはさみを開発、通産省1975年度グッドデザイン商品233点中、優秀17点の1つとして選ばれました。

Gマークに輝くクロバーホームはさみ
(1975年 昭和50年)

はさみ拡販キャンペーン「CS 作戦」を展開。

10月

創業50周年。

1976年(昭和51年)

あみ針拡販キャンペーンのイメージガールに神保美喜さんを起用。

1977年(昭和52年)

第1回全日本ホビーショー(東京)に出展。
新しいジャンルのホビーが多数登場する中、毛糸刺しゅう「ニードルポイント」を発売。

大阪府知事から大阪府品質管理推進優良企業として表彰を受ける。

あみ針、はさみをテレビにて生CM放映。
全国ネット「おはようワイド土曜の朝に」で放送。

1978年(昭和53年)

米国のザ・ナショナルニードルワーク・アソシエーション・ショー(TNNA ショー) に初出展。

1979年(昭和54年)

札幌分室を札幌市中央区南2条東1丁目1番地に開設。

1980年(昭和55年)

クロバーラブを発売。

3月

福岡営業所を福岡市博多区東光2丁目10番3号に開設。

4月

西ドイツ(当時)の展示会「 ハンダーバイト」に出展し、あみ針「匠」を展示、発表。

10月

アンテナショップ「ニードルワークの店・クロバー」を兵庫県芦屋市で開店。

1981年(昭和56年)

株式会社ニードルワークセンターより手あみ糸「バルブラン」を発売。

1982年(昭和57年)

米国カリフォルニア州にクロバーニードルクラフト・インコーポレッド(CNI)設立。

1983年(昭和58年)

10月よりCLOVER NEEDLECRAFT,INC.が営業を開始。

テレビドラマ「スチュワーデス物語」でスポンサー契約、あみ針「匠」、「カラー」をCM放送。

1984年(昭和59年)

ローティーン手芸用品「チャックル」シリーズを発売。

9月

仙台営業所を仙台市大町2丁目2番10号で開設。

1985年(昭和60年)

1月

福岡営業所を福岡市博多区東光2丁目6番12号に新築、開設。

3月

仙台営業所を仙台市宮城野宮千代3丁目4番20号に移転。
大阪工場第4期工事、事務所棟完成。

あみ針の拡販キャンペーン「KN60・手あみキャンペーン」を実施。

1986年(昭和61年)

4月

本社を大阪ビジネスパークのツイン21(MID タワー33 階) に移転。本社機能を備えて大阪本部とする。

旧本社を中央物流センターとする。

9月

東京営業所に本部機能を備え、東京都千代田区麹町3-2に移転、大阪と併せ2本部制を施行。
商品のPOSコード化を開始。

1987年(昭和62年)

6月

岡田秀一が会長に、岡田冨二が社長に就任。
あみ針拡販キャラクター「あみゴン」を制作して、手編みキャンペーンを展開。

1988年(昭和63年)

パッチワーク・キルト用品の発売を開始、同商品の開発強化を打ち出す。

「毎月20日はニットの日」を提唱。手編みをコミュニケーションツールとして提案。

3月

札幌分室を札幌市中央区南1条西11丁目に移転。
Hシリーズ&ソーメニュを発売。

平成前期

1989年(昭和64年/
平成元年)

ソーイングキャンペーン「ワンワンソーイング」を展開。

1990年(平成2年)

大阪物流センターを東大阪市吉田4丁目4番29号に移転。
あみ針拡販キャラクター「寒がりあざらし君」を制作して、手編みキャンペーンを展開。

1991年(平成3年)

ステンシル用品の発売。

3月

東京本部、東京営業所を東京都墨田区緑1丁目19番9号に移転。

10月

現本社ビルを大阪市東成区中道3丁目15番5号に竣工して移転。

本社旧館1階に資料展示室、2~3階に講習会場「クロバーホビークラブ」を開設。
あみ針拡販キャンペーン「ハナクレマス」「ハナクレタイン」キャンペーンを展開。

1992年(平成4年)

クロバー「男の手づくりを考える会」設立。雑誌「週刊朝日」の広告で「男の手づくり」を宣言、「男の手づくりアイデア募集」を告知する。

モデルショップ「クロバーホビークラブ」で手づくり教室の講座をスタート。

6月

クロバーニュース第200号の発刊。

1993年(平成5年)

はさみの機械生産強化と新包装仕様で商品の高品質化を図り、第2次はさみ拡販キャンペーン「CS21作戦」を展開。

糸切はさみ「ブラック」がグッドデザイン賞を受賞し、中小企業庁長官賞も受賞。

トールペイント用品を発売。

1994年(平成6年)

6月

仙台営業所を仙台市宮城野区榴岡2丁目3番15号に移転。

1995年(平成7年)

7月

製品及び包装仕様を変更して新ソーメニュを発売。

9月

各毛糸発売元と個別手あみ小物キャンペーンを展開。以後継続して毎年展開。

1996年(平成8年)

クロバーホームページを開設。

1997年(平成9年)

7月

クロバーラブ「メリークロバーシリーズ」を発売。

1998年(平成10年)

お客様係開設。

9月

あみ針/編み物用品「ニューカラー」シリーズを発売。

1999年(平成11年)

2月

手芸用キットや材料で構成する「クロバーホビー」を発売。

2000年(平成12年)

ヨーロッパの拠点としてドイツに「Clover Euro GmbH.」を設立。
東大阪事業所(東大阪市吉田4丁目4番29号)にて環境マネジメントシステム国際規格ISO14001の認証を取得。

2001年(平成13年)

クロバーマーク、社名ロゴを現在の形にリニューアル。

2002年(平成14年)

クロバー商品CDカタログ第1号を発行。

2004年(平成16年)

4月

岡田冨二が会長に、岡田康弘が社長に就任。
東京・六本木ヒルズアリーナにて、手編み体験イベント「KnitOut Tokyo 2004」を開催。
2005-06年も継続してニットアウトを開催、大規模な手編み体験イベントを通じて手編みファンの増加につながる。

平成後期

2005年(平成17年)

「ミシンDEソーイングアウト」を開催。

東京営業所を東京都中央区東日本橋2丁目に移転。

2006年(平成18年)

新しい手編みスタイルを提案、東京を中心に「KnitOut-KnitCafe」(ニットアウト・ニットカフェ)の展開を開始。

ビーズクチュールニードルが、全米クラフトショーCHAでCHA SUMMER INNOVATION2006を受賞。

2007年(平成19年)

8月

中央物流センターを東大阪市宝町10番9号に移転。

10月

大阪工場を中央物流センターの所在地に竣工して移転。

東京ミッドタウンにて、KnitOut-KnitCafeを開催。

2008年(平成20年)

6月

東大阪事業所(大阪工場、中央物流センター)にて、環境マネジメントシステム国際規格ISO14001の認証を取得。

千葉マリンメッセにて、Knit Café Stitch n' Pitch(ステッチンピッチ)を開催。

2009年(平成21年)

ロンドンで開催のサンゴ保護活動(Crafts Council & SouthBank Centre主催)に協力。

2010年(平成22年)

パフェプロジェクトの活動を開始。

12月

東京営業所を東京都中央区日本橋馬喰町2丁目7番11号に竣工して新築、移転。

2011年(平成23年)

8月

クロバーの公式ツイッターを開設。

2012年(平成24年)

ハマナカ株式会社様と共同で「こども手づくりプロジェクト」を立ち上げ、「こども手づくり作品コンテスト」を開催。

NHKテレビ「ルソンの壺」で取材放映。
クロバーホームページのリニューアル。

2013年(平成25年)

公式フェイスブックの開始。

2015年(平成27年)

5社共同ニット帽プロモーション ママ&キッズを展開。

2016年(平成28年)

ジャンボ編み普及のため、「もっと Jumbo Knit プロジェクト」を展開。

東京・丸の内 KITTE でニットアウトを開催し、約4,000人がジャンボ編みを体験。

2017年(平成29年)

10月

クロバーニュース第300号を発刊。

2018年(平成30年)

「手編みの日」を制定して、キャンペーンを連動させ、手編みの啓蒙を図る。

2019年(平成31年/
令和元年)

岡田康弘が会長に、岡田知己が社長に就任。

令和

2020年(令和2年)

脱プラスチック活動の一環として新商品の紙パッケージ化を宣言、実施。

2021年(令和3年)

DIY JAPANホームセンターショーに出展、クロバーDIYシリーズの発売を開始。

2022年(令和4年)

健康経営優良法人に認定。
大阪ものづくり優良企業賞・同知財賞に認定。

福岡営業所を福岡市博多区博多駅東2丁目15番19号に移転。

2023年(令和5年)

デスクスレダー「クイック」がグッドデザイン賞を受賞。

2024年(令和6年)

東大阪事業所において、太陽光発電設備を導入、発電運転を開始。

ドイツでデスクスレダー「クイック」がreddot賞を受賞。